3歳児までの時期はどんな時期か「三つ子の魂百まで」は本当か?
「もう少し頭が良かったらなあ」という思いを持ったことのない方はまずいないのではないでしょうか。オズの魔法使いの中に登場する「かかし」君の「脳みそが欲しい」という言葉が、私にはとても印象的に心に残っています。これはそのまま私の実感でもありますから。
「三つ子の魂百まで」と言われますが、励ましの言葉であるよりは四才から先のじんせいに重くのしかかるような気持ちにさせる言葉のような響さえ聞こえてくるような使い方をされていることはないでしょうか。自分のことはしばらく横に置いて、子どもの3才になるまでの時期について一緒に考えてみませんか。参考書は次の2冊で、引用は@からです。
@時実利彦 『脳と保育』(雷鳥社)
A高木貞敬 『子育ての大脳生理学』(朝日新聞社)
(少し古めで、多少気になるところがないわけではありませんが、
私たちにとっては充分だと思います。)
頭の良し悪しと脳
脳が多ければ多いほど、重ければ想いほど利口(優秀)だと普通には考えられているようです。確かに高等な動物ほど脳の量が多く重くもあるのですが、鯨や象は人間より何倍もお重い脳を持っています。多ければ良いという訳ではなさそうです。
それでは脳の皺の多少によるのかというと、そうでもなさそうです。確かに人間の脳の皺は他の動物に比べて断然多いのですが、イルカよりは少ないのです。イルカがどんなに賢くても、文明を造ったと言う話しは聞いたことはありませんし、人間よりお利口だとは誰も思いません。
つまり、頭の良し悪しは脳の重さや皺の多少だけによって決まるのではないといえます。それでは何によって決まるのかといえば、それは脳の働き方の良し悪しによるのです。ですから、頭の大小や形の良し悪しには、まして顔の良し悪しとは無関係です。
頭の良し悪しは、脳の働きの良し悪しによる訳です。脳の働きというのは、神経細胞の絡み合いによってできた回路網の活動、つまり脳を組み立てている脳細胞の数・性質・相互作用・脳全体の分業の状況によるのです。
脳の働きは環境に左右される
それでは、脳細胞の数が多ければ多いほど頭が良いかというと、そうではありません。脳細胞の数は、未開人も文明人も、赤ん坊も同じなのです。脳細胞は他の細胞と違い、減りこそすれ増えることは決してないのです。それでは、個々の細胞の性質(働き方)の相違によるのか、あるいは遺伝によるのかということになります。つまり、遺伝か環境か、先天的か後天的かということですが、結論から言えば、両方の影響を受けていると言えます。
次の引用をじっくりお読み下さい。
『しかし、よく分析してみますと、次のようにいえるようです。すなわち、わたしたちの知能・才能・性質・性格などで表現される精神活動には、生まれた時すでに備わっているものと、生まれてから身に付くものとがあって、前者は遺伝の影響を強く受けるが、後者は環境の影響によって習得されるものだと言えるようです。具体的に申しますと、遺伝の影響を受けるのは、「古い皮質」で営まれる心、すなわち、活発、精力的、落ち着きがない、テンポが速い、おとなしい、もの静か、陰気、明るい性格、気がめいる性格、乱暴、臆病、大胆、おこりっぽい、好奇心などです。
これに対して、「新しい皮質で営まれる高等な精神活動には、環境に左右されることが大きいのです。すなわち、しんぼう強い、あきっぽい、敏感、鈍感、緻密、粗雑、自信、優越感、劣等感、協調性、おせっかい、無関心、思考力、判断力などです。そのほかに創造性や喜びや悲しみの情操も、生まれてからの育つ環境に強い影響を受けるようであります。
四百名の双生児で、小学校の教科について、遺伝の程度がどのように違うかということが調べられています。その結果によりますと、体育と図画と工作は遺伝の影響が非常に強いのですが、音楽は思ったほど強くなく、算数の成績では遺伝の影響は非常に弱いことになっております。評点の仕方が問題になりましょうが、さきに述べた具体例と比べて、そんなに大きな違いはないようです。
以上述べましたように、わたしたちの脳の働きの中で、特に、人間を特徴づけている「新しい皮質」の高等な精神は環境で作られるということでありますし、「古い皮質」の遺伝の影響を受けている心は、「新しい皮質」の精神で充分に制御できますから、私たちの脳の働きは、環境によって強く左右されているのだと考えてよいわけであります。従って、「氏より育ち」という金言も現代に生きていることになりまし、ここに、わたしたちが子どもに希望を託して一生懸命に保育し、教育する意欲がわいてくるのです。』(p54〜55)
ヒトであるなら、誰であっても生物学的には同じ文明の水準に到達できる可能性のあることが分かります。黒人問題とか同和問題のうようないわゆる国内外の差別問題が、劣るが故に差別されるというのであれば、人間の差別は勿論、根拠があれば許されるというものでは絶対にありませんが、それは学問的(生物学的)に全く根拠のないことだといえます。
理事長:小林一正 |