学校教育の理念やカリキュラムを考え議論するのは教育の専門家である学校の教師である、と考えている学校の先生方がおられても、それは少しも不思議ではありません。そうあらねばならないからです。けれど、「だから保護者や地域住民の一般人が口を挟むことではない」と、思われているとしたら、非常に問題です。現実にそういう方に出会うことがあります。 
               
               教員免許のないことで白眼視されて、肩身の思いをせざるを得ないのは、どこまでも自分の責任であり、免許取得に必要な教養以上のものを身につけるしかないな、と思っております。 
               
               ところで、(学校)教育の必要十分条件とは何か?と問われるなら、私は次のように答えたいと思います。 
               
               「教育の必要条件とは責任であり、十分条件とは信頼である。」                          
              責任(responsibility)とは、
              
                応答する(responseする)能力(ability)のことであり、
               
                            責任が問われているということは、
              
                子どもの心や体の要求や語りかけに、  
                今・ここで(実存的に)応答しているかが問われているということである。 
               
                           
            教育は教師(親・大人)の子どもへの信頼があり、 
                子どもの教師(親・大人)への信頼があって、 
            はじめて成立するものだと考えております。
              
            理事長:小林一正 
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